2019.01.30 24H DUBAI 2019 RACE REPORT
第14回 HANKOOK 24H DUBAI 2019
開催日時:2019年1月10日(木)・11日(金)・12日(土)
開催地:ドバイ オートドローム(アラブ首長国連邦)
チーム:MRS GT-Racing(#989)
ドライバー:横溝 直輝、近藤 保、Ken Seto、Xu Wei、佐藤 元春
マシン:Porsche 991 Cup Car(Type 991-Ⅱ)
クラス:991 – Porsche 991 Cup Cars
天候:予選/晴れ、決勝/晴れ
路面:予選/ドライ、決勝/ドライ
予選~総合:41/75位、 クラス:11/11位
決勝~総合:43/75位(DNF)、 クラス:6/11位
毎年1月にドバイ・オートドロームにて開催されている24時間レース。Koshido Racing代表である
佐藤元春は、MRS GT-Racingより989号車でエントリーしていた。
一緒に参戦する面々は、富士スピードウェイで開催されるCARGUY Super Car RaceやFerrari
Racing Daysではライバル関係にある近藤保選手、Ken Seto選手、またアジアルマンシリーズで
活躍しているWei Xu選手、そしてGTドライバーである横溝直輝選手という布陣。
今回、佐藤は海外レースへの出場は勿論のこと、ドバイオートドロームの走行、ポルシェカップ
カードライブ、24時間耐久、ナイトセッションと、初挑戦となることが目白押しで、緊張と期待に
満ち溢れていた。
まずはコース攻略として、2018年暮れよりドライビングシミュレーターによる特訓に通い詰め、
路面の起伏やライン取りを徹底的に叩き込んでいた。舞台となるドバイオートドロームは全長が
5390メートル、16個のコーナーからなるサーキットで、路面のうねりも所々に見られる。周りに
砂漠が広がっていることもあり、ラインを外すと砂に乗ってあっという間にコーナー外に膨らみ、
コースアウトや急な姿勢変化に見舞われる。また、気温も1月といえど日中は30度以上にも達し、
夜には15℃以下と寒暖差が大きく、現地の気候に慣れていない身には体調維持だけでも厳しい
コンディションである。
<DAY1> 1月9日(水) 練習走行(11:00~)
佐藤にはいよいよとなる国際レースデビューの日。今回のドバイ24時間は80台近くがエントリー
しており、走行中の混雑は容易に想像できる。しかも実質的な練習走行はこの日からということ
もあり、走行開始とともに各チームのピットより次々にマシンが射出されていく。無論、各車一斉
に出走した結果、コース内は即渋滞に見舞われることとなった。
程なくして赤旗が降られ、なかなかコース攻略に移ることができない佐藤。それでも日本にいる
間にシミュレーターで組み立てた走りのイメージを活かし、初乗りでのタイムは横溝選手の+3秒
につける。これはジェントルマンドライバーであるチームメイトの中ではトップタイムであった。
コース内は変わらず混雑している中でのタイムということを考えると、やはりこの辺は普段から
多数レースに参戦している経験が活きているといえよう。
横溝選手よりロガーデータからアドバイスを受ける
<DAY2> 1月10日(木)
予選(16:15~)
予選の朝、各ドライバーはブリーフィングのために一堂に会していた。各国から数多くの著明ドラ
イバーが集まる本レース。その全員が集まると圧巻の人数である。指定されたそこはまるで大学の
講堂のような広い空間。ドバイ24時間レースの規模の大きさを物語っている。ブリーフィング後は
フリー走行の時間が設けられ、各チームが予選前の最終調整を行っていた。
予選アタックは佐藤が担当することとなった。先に述べた通り、横溝プロを除くチームメイトの中
ではトップタイムをマークしていた佐藤。ジェントルマンドライバーでどこまで上位に食い込める
か期待が寄せられる。しかし、レースはそう甘くはなかった。そもそも今回のセッティングはアマ
チュアドライバーがメインのチームであることから、シビアな挙動は避け、極力ドライビングにお
ける負担を軽減することを目的とした安定的なものであった。そのため同じ991クラスの上位車両
に比べると、車の動きが穏やかな分、俊敏性に欠け、1周回ごとに3~4秒の差が生まれてしまう。
また、本人はヨーロッパのプロドライバーやポルシェ職人の壁が大きかったともコメントして
おり、ヨーロッパにおけるモータースポーツへの取り組み姿勢がいかに熱狂的なものであるかと
いうことを示唆していた。
ナイトプラクティス(19:00~)
24時間レースといえば夜間走行は避けられない。本番を前にいよいよナイトセッションが始まる。
佐藤は既に同日のフリー走行と予選アタックを終えており、疲労はピークに達しつつある中での
走行である。
やはり夜は視界がきかないこともあり、ラップタイムはどのチームのドライバーもベストから3~
4秒落ちる。最大の難所は1コーナーを抜けた後に続く4速での高速コーナー。コース照明の光も
ほとんど届かず、コーナーの先が見通せないといった状況で恐怖すら覚える。若かりし頃に峠で
慣らした腕前も、本場のナイトレースではまったく意味をなさないほどであったと佐藤。そのよう
な中、後ろからは容赦なくGT3車両が迫り、パッシングとともにぎりぎりのところをかすめ、抜き
去ってゆく。しかし、この頃には佐藤も911の乗り方をかなり掴めてきており、大きな疲労と引き
換えに決勝での走行前に充実したプラクティスができたと好感触を得ていた。
<DAY3> 1月11日(金)
決勝(15:00~ 24hours)
ドバイは1年を通して雨が降ることがなく、このレースウィークも常に快晴。
スタート前にチームで入念にミーティングが行われる。
長丁場を前に、レース運びや最終的な注意点についてしっかりと確認し合う
スターティングドライバーは佐藤が担当することとなった。ドバイ入りしてから3日が経過して
いるが、自身でも成長を自覚できるほどの様々な経験を積み、決勝に臨む。
午後に入り、スタート時刻が迫りつつあるが、これから始まる長い戦いを前にチームメンバーは、
緊張というよりも心からレースを楽しんでいるという雰囲気が伝わる。
スタート直前、リラックスムードの中での一コマ
そして時刻は15時。いよいよ24時間の幕が開ける。スターティンググリッドには様々なGTカーや
ツーリングカーが総勢75台も並び、ホームストレートは一層賑やかになる。989号車のグリッドは
41番。991クラスの中では最後尾である。
レースは予定通りにスタート。直後の大きな混乱はないが、とにかくエントリー台数の多さから、
コース上では所狭しと車が行き場を探している
この2日間のプラクティスや予選アタックで911の走らせ方を心得た佐藤は、快調にペースを上げて
いく。7周目にはプラクティスで記録していたベストの約1秒落ちである2分9秒025をマーク。
このタイムはプラクティス同様、横溝選手を除くチームメイトの中で、のちのレースラップベスト
となった。
1時間を経過し、総合順位は53位とポジションダウンしているが、991クラスではトラブルないし
クラッシュで早々に2台のリタイアが出たことで、989号車は9位にポジションを上げていた。
無事に30周を走破し、最初の佐藤のスティントは終了。近藤選手へと繋いだ。最初の佐藤の
スティントこそ30周回であったが、以後はおよそ40周回ごとのドライバーチェンジでレースは
進んでいく。
4時間経過後には88周回で総合順位を40位までアップ。クラス内ではトップと5ラップ差の8位に
つける。この時点で、989号車にトラブルの予兆は見られない。
4時間を回ると少しずつ日も傾き、各車ヘッドライトを点灯させ始める。いよいよ普段のスプリ
ントレースとは異なる雰囲気が漂い始め、24時間レースであることを改めて感じさせる情景が
広がる。
そして毎年多くのクラッシュが発生すると言われているナイトセクションへと突入していく。
ドバイオートドロームは華やかなドバイ市街地の中にあり、サーキット周囲は夜間でも明るい。
しかし、コース内はホームストレートを除き、そのほとんどが暗闇に覆われる。前日のナイト
プラクティスでは、各ドライバーが神経をすり減らしながら走行しており、日中の走行に比べて
何倍もの負担がかかる。この点に関してはいかにサーキット慣れしているかが大きな差となるが、
ほとんどのドライバーがドバイ初走行となる989号車メンバーには大きなハンデとなっていた。
他の991クラスのチームも、タイムは軒並み予選時に比べて3~6秒落ちとなってはいたが、安全
マージンを残しつつタイム差を最小限に抑えるには大きなハードルである。
それでもドライバー面々の努力の甲斐もあり、総合順位を大幅に落とすことなく、夜間走行は続い
ていく。クラス順位も7~8番手をキープしていた。
勿論、ナイトセッションが山場であることは989号車に限ったことではない。日中数件だった接触
やクラッシュは暗くなるにつれて一気に増え、コード60(他レースではセーフティーカー導入に
該当)の回数が大幅に増える。
参考までに、昨年は35回のコード60が発令されたが、その大半はナイトセクションであった。
レースは過酷を極める一方であるが、その傍らで花火が上がるなど、24時間レースならではの
楽しい雰囲気も垣間見られる。
7時間を経過し、周回数は155周。総合46位、クラス7位につけ、順調に周回を重ねていた989号車
であったが、22時頃ついにトラブルに見舞われる。
無線が使えなくなり、緊急ピットイン。幸いにして復旧に多くの時間を要することはなく、横溝
選手にドライバーチェンジし、ほどなくしてコースに戻っていく。7時間時点で後ろにつけていた
979号車とは7周のマージンがあり、このピットインでは順位変動なく、レースを続けることが
できた。その後は横溝選手の走りでトラブル対処に要した時間を少しずつ消化していく。ラップ
タイム的には、989号車の他ドライバーの日中走行のペースと遜色ないか、むしろ上回るくらい
である。そして時刻は日付が変わる時間帯へ。ちょうどその頃に再び佐藤のスティントが迫って
いた。
<DAY4> 1月12日(土)決勝( ~24housゴール)
日付は変わり、残り15時間。989号車は無線復旧後、再び問題なく走行を続けていた。アマチュア
としてはレース経験豊富な佐藤に、「怖くて本当に大変だった」と言わしめたナイトセッション。
その本番である決勝に挑むべく、レース開始から202周を数えたところで佐藤にドライバー交代の
時がやってきた。
佐藤としては意外にも消極的なコメントを残していた暗闇の中での走行であったが、いざ蓋を開け
てみれば2分12秒231と、日中同様に横溝選手を除くチームメイトの中でのトップタイムをマーク
していた。努力と適応能力の高さで、初走行となるコースも自分のものとしていく。約2時間を
走破し、次走者にバトンを渡す。この時点で順位は総合44番手、クラスでは7位とポジション
キープ。マシンセッティングにハンデがある中でのポジションキープ、まして決勝におけるナイト
セッションという条件下では、さすがに心身ともに疲労が大きい様子であった。
ドライバーやピットクルーの休息場所は隣接するサーキットホテルであったり、はたまたピット裏
に設置されたテントの中となるが、いずれもコース内を走行しているマシンたちの耳を劈くような
エキゾーストに苛まれ、十分な睡眠をとるには困難極まりない様子である。
次第に夜は明け、時刻は6時。夜間15度ほどだった気温は、日光が差すと同時に即23度まで上昇。
まさにドバイならではである。
7時を回る頃、再び989号車にトラブルの波が訪れる。ABSが作動しなくなったほか、ブレーキが
効かなくなったと近藤選手より報告が入った。走行に直接影響する類のトラブルだけに、今回ばか
りはさすがに慎重に対処せざるを得ない。ピットインし、左リアサスペンションを交換。40分ほど
を要した。
メカニックが必死に対処を試みたが、ABSトラブルは原因がわからず、やむを得ずそのまま安全
走行で完走を目指すという方針でコースに戻る。しかし、サスが原因だったのか、幸いにもABSは
復旧していた。前述の通り夜間はクラッシュが多くなるが、夜が明けたこの時間帯もドライバーの
疲労によるミスからクラッシュする車両も少なくない。ABSが再び使えるようになったことは、
疲労で集中力を欠きやすい状態にあるドライバー達にとって安心材料となったはずである。
この時点で18時間が経過。ピットストップに1時間以上を要していたが、991クラスのライバルが
クラッシュ・リタイアしていたため、順位はそのままに走行を続けることができた。
20時間を経過し、周回数も400周を数えるころ、前を走っていた991クラスのライバル一台が
クラッシュにて戦線を離脱する。元々40周以上の差があったが、コンスタントに周回を重ね、
残り1時間をまわったところでついに逆転。989号車はポジションを6位に上げる。
その後はトラブルの予兆もなく、このまま残りの数十分も無事に走り切り、感動のゴールの瞬間を
迎えるだろうといった安堵の空気が漂い始めるピット内。ラストスティントのドライバーに抜擢
されていた佐藤はチェッカーまでの15分で自身の仕事をきっちりこなすべく、ピットで準備して
いた。最後のドライバーチェンジも問題なく、コースに戻っていく989号車。その先に待っている
のは24時間の戦いを乗り越えた達成感と仲間たちと分かち合う大きな喜びであると、誰もが確信
していた。
しかし、最後の最後にドラマが待ち受ける。
23時間56分30秒。モニターに映し出された自車の姿に、ピット内は騒然。感嘆の声が響いた。
ピットでゴールの瞬間を待ちわびていたチームクルーも、日本で夜通し応援し続けていた友人や
チームあるいは会社のスタッフも、そしてなによりドライブしていた佐藤自身も、その現実を
受け入れられなかった。佐藤によると、バックストレートで突如ギアが入らなくなり、そのまま
止まってしまったとのこと。車内では試行錯誤し、再始動を試みる佐藤の姿が見られたが、エン
ジンが再び息を吹き返すことはなかったという。一瞬ガス欠とも思われたその症状であったが、
結果ECU系のバグによる燃料カットが原因と判明。タンク内には6リットルほど残っていた。
残り3分半。受け入れがたい結果であるが、これがレースの厳しさである。
直前で完走は逃したものの、リザルトは493周回で総合43位、クラス6位として記録された。
ドライバーもチームスタッフもこのままでは終われるはずもない。いずれ必ずリベンジすることを
誓い、ドバイを後にした。
~レース後、ドライバーコメント~
初めての海外レース、しかもそれが24時間耐久ということで、しっかりと体調を整え、全力を
出せるような状態で臨みました。今回は横溝プロの他、ジェントルマンドライバー4名(日本より
3名、中国より1名)の合計5名で戦ってきました。ドバイに着いたのが現地時間の朝5時過ぎという
ことで、時差呆けを生じないようにするために到着当日は一切仮眠をとらず、夜中まで起き続ける
ことに専念しました。それが功を奏し、現地時間に身体を順応させることができ、2日間のプラク
ティスも問題なく進めることができました。ドバイのコースレイアウトは周りが砂漠ということも
あり、ところどころ砂が浮いてスリッピーな場所もあれば、タイヤカスが溜まっている部分も
あり、プラクティスからライン取りを意識して取り組みました。特に1コーナーを抜けた後の高速
コーナーに関しては、リア荷重が抜けると車が飛んでいくようなところもあるので、フロント荷重
過多にならないようにリア荷重も意識しながら、4輪を沈めてコーナリング姿勢をつくっていくこ
とを念頭においてトレーニングしていました。その結果、徐々にタイムを短縮でき、自分としては
初めてのコースでは納得のいくプラクティスができました。
レース本番では予選アタック、オープニング、チェッカー担当という非常に重要な役割を果たす
ことになりました。予選アタックは当然GT3、GT4、TCR車両との混走であったため、レーシング
ラインを意識しつつもGT3をパスさせることによるロスタイムが最小限になるように努めました。
予選のタイムに関してはフリープラクティスの時よりも短縮でき、自分としてはさらに更新できる
という手応えは残しつつも、納得いくアタックができたと思っています。
そして約80台にも上る台数の中、決勝がスタートとなりました。本レースに関してはフォーメー
ションラップが2ラップありますが、2ラップ目の後半には隊列を組まなければならなかったため、
1ラップ目にしっかりタイヤとブレーキに熱を入れて、1.5周の間に車両をベストな状態に持って
いくことを意識しました。当然ながら多くの台数の中でのバトルなので、しばらくは他車との接触
を避けなければならず、前後左右に注意を払いながら、かつ自分の持てる走り、必ずマージンを
残すこと、後方から迫る車両のクラスを判断すること、これらに集中にしながらレースを組み立て
ていきました。無線でも混走車両の情報を送ってくれていたので、それも併せて確認し、ロスが
最小限になるように走りました。
自分は最初のスティントが終わり、次がナイトセッションになりましたが、夜間の走行に関しては
1コーナーを抜けた後のハイスピードコーナー、つまりはリア荷重が抜けると危険なゾーンが真っ
暗で縁石も見えない、クリッピングポイントも見えないという状況でした。徐々に修正を重ね、
特に最初に舵を当てるタイミングを調整しながらなるべく本来のレーシングラインに近づけるよう
専念しました。ナイトセッションはどうしてもクラッシュが多く、コード60が頻繁に出ていた
ため、単独はもとより、もらい事故に遭わないように注意し続けることも重要でした。その後の
スティントは明け方だったため、自分のコースへの慣れとレースへの感覚も掴めてきたことも
あり、もう少し詰めていこうという思いで挑みました。その3スティント目の中で、後方からGT3
のポルシェが近づいてきていたのを確認していたため、イン1台分を空けてヘアピンコーナーで
オーバーテイクさせてから追従しようと考えたのですが、相手の車両がアンダーステアを誘発
し、自車のホイールに当たったことで、大きく何かが破損したと認識したため、緊急ピットイン
をせざるを得ない状況になりました。そのタイミングでドライバーチェンジをし、最後は残り
20分をきったところでチェッカーを受けるべく、ラストスティントを担当しました。すべての
ドライバー、エンジニア、メカニック、監督の思いをのせ、あくまでもチェッカーを受けることが
目標であったため、安全マージンを確保しつつ、周りの状況をみてレース運びに専念しました。
残り5分のところで横溝プロから無線が入り、残り2ラップになるであろうと連絡を受け、無事に
走り切ろうと気持ちを新たにしていた矢先、残り3分のところでバックストレート上で6速に入れ
た瞬間にギアが抜けたような症状があり、失速していきました。続いてガス欠症状のアラームが
出たため、緊急用の燃料送油やミッショントラブル時のクラッチでミッションを繋ぐ応急装置を
発動させましたが、ギアが入らないという状況でやむなくコース外に停止し、車両は23時間57分
でストップしました。最終的には牽引され、ピットまで戻りました。チェッカーは受けられなか
ったですが、実際には完走扱いとなり、クラス11台中、6位という結果を残すことができました。
初めての海外、24時間耐久と初めてづくしだったのですが、みんなと喜びや悔しさを共有できた
ことは非常に有意義なものと思っております。またこのメンバーでドバイに限らず、24時間耐久
レースに参戦したいと思いました。
また、今回自分の所属チームのエンジニアもメカニックも女性だったのですが、良いカルチャー
ショックとなりました。ヨーロッパではドライバーに限らず、車のメンテナンスに携わるスタッ
フも女性が活躍しているということから、日本もそういった流れにしていくことが望ましいと
考えます。男性・女性という垣根をなくし、女性がメカニックとして、エンジニアとして活躍
できる場をつくっていくことができればという思いをチームオーナーとして強く感じました。
Koshido Racing 佐藤 元春